宝篋山から筑波山を望む
筑波山のおおむね南、つくば市と土浦市との境に位置する標高461mの宝篋山(ほうきょうさん)を訪ねた(2025年3月10日)。麓の上田休憩所(標高は推定25m程度)からの極楽寺コースを登る。低山といえ標高差は400m以上、途中、結構な急登であった。
この山には南北朝時代に城があったといい、山頂近くに「宝篋城跡」、「空堀跡」、「土塁跡」の表示板があった。この界隈には宝篋山城、小田城、小田前山城の3つの城址がある。
山頂にはこの山名の由来となった文化財指定の宝篋印塔がある。また山頂付近には電波塔が2つ建っている。
関東の富士見百景に選定されているというが、この日はよい天気なのだが、春霞で遠方の山々はまったく見えなかった。
下山後、4kmほど北にある、奈良時代から平安時代にかけて造営されたという常陸国筑波郡の役所の遺跡である平沢官衙(ひらさわかんが)遺跡を訪ねた。
宝篋山山頂から望む筑波山の男体山(871m、7.1km)と女体山(877m、6.8km)。

平沢官衙遺跡の歴史ひろばから望む宝篋山(461m、2.9km)。

この山には南北朝時代に城があったといい、山頂近くに「宝篋城跡」、「空堀跡」、「土塁跡」の表示板があった。この界隈には宝篋山城、小田城、小田前山城の3つの城址がある。
山頂にはこの山名の由来となった文化財指定の宝篋印塔がある。また山頂付近には電波塔が2つ建っている。
関東の富士見百景に選定されているというが、この日はよい天気なのだが、春霞で遠方の山々はまったく見えなかった。
下山後、4kmほど北にある、奈良時代から平安時代にかけて造営されたという常陸国筑波郡の役所の遺跡である平沢官衙(ひらさわかんが)遺跡を訪ねた。
宝篋山山頂から望む筑波山の男体山(871m、7.1km)と女体山(877m、6.8km)。

平沢官衙遺跡の歴史ひろばから望む宝篋山(461m、2.9km)。

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